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久しぶりに夜汽車に乗った。
田舎があって盆暮れに帰省するようなお宅は別だろうが、うちのように両親とも東京だと、子供にとって、寝台車ほど縁の遠いものもなかった。あんまりしつこくせがんだから、夏休み、海水浴に行くのに、寝台車で行くことになった。興奮して一睡もしなかったのを覚えている。一睡もしないどころか、横になりもせず、ベッドに座ってずっと景色を見ていたのだから、何のための寝台車かわからない。 長じて寝台車に乗れるようになる頃には、もう、寝台車は斜陽だった。スピード
広島から東京まで約2万円。新幹線や飛行機よりちょっと割高だ。だけど、夜のうちに移動できてホテル代がいらなくなると思えば、そんなに割高でもないだろう。今回私が乗ったのは個室寝台でカギもかかる。しかも、料金は普通の二段ベッドと同じである。よく調べれば、そういうのもある。 寝られないという人もあるだろう。たしかに、よほどの豪傑でなければ、なかなか、すぐに熟睡はできまい。しかし体を横にしていると、単調なレールの音と室内の静けさで、次第にうつらうつらしてくる。考えても見たまえ、体を横にしたままで何百キロ何千キロも運んでくれるのは、寝台車しかないのである。このうつらうつらは極上の気分だが、最高なのは、真夜中、停車駅があって列車が静かに止まる時だ。今まで聞こえていた諸々の音が徐々に低くなっていき、ついには完全な静けさが訪れる。列車の振動も、まったくなくなる。この時、深い安堵感とともに、体の重さはベッドに吸い込まれていき、深い眠りに入れるのである。 どうです？ 夜汽車の旅、試してみませんか？ 1.2の世界 視力の話である。 今までの眼鏡の度数がいよいよ合わなくなって、夜など運転すると危ないくらいだったから、新しい処方箋を作ってもらった。 これまでのは遠近両用だった（おやじのココロ「老眼鏡」）。ところが、これが、あまり調子よくなかった。 「レンズの下半分は老眼用です、だから手元の細かいものを見るにはいいはずです」と言われて作った。私は仕事のとき、手元、というより自分の腹の前くらいの高さに譜面台を置く（譜面台の高さは人によって違うが、私は低い方が好きだ）。これがうまい具合に見えるはずだったが、そうはいかなかった。老眼用の適距離はもっと短いのだ。立っている自分と譜面の距離だと、近視用の方がいい。まさか思いっきり顎を引いてレンズの上半分で見るわけにはいかない。チラッと見てもボヤーっとしている。ある程度は覚えなきゃいけないということになって、勉強時間が増えるハメになった。（指揮者仲間に話すと、みんな、同じような経験をしている。ならば「指揮者に遠近両用はタブー」というのがもう少し常識になっていればいいと思うが、なっていない。みんな、自分の老眼を隠しているんだ！） たしかに便利な面もあった。ひとつの眼鏡で手元も遠くもほどほどに見える。しかし、二兎を追うもの一兎を得ず、帯に短し襷に長し、どっちも半端では、ストレスも溜まる。 今回は近視用に徹することにした。それも、思いっきりよく見えるのを作ろうと、最初から決意して臨んだ。そして獲得したのが1.2の世界である。 検眼でおそろしくよく見えるレンズをかけてもらって、これがいいと思っても、「眼鏡でこれだと疲れます」とか何とかいろいろ言われて、結局、少し弱めのレンズにするのが常道である。疲れたっていい。スパッと見えればいいんだ。今回は、良かれと思ってして下さる助言に一切耳を傾けず、初志を貫徹した。 いやはや、よく見える。運転中の標識やら標示にはもはや苦労しない。電車で向かいの座席に座った婆さんの皺の数も数えられる。練習中に６と８を間違えて笑われることもないだろう。 何より、モノの輪郭がはっきり見えるのには驚いた。人の顔も、モノの形も、シャープなのだ。 もっとも、不便もある。 でも、いい。当分、手元はあきらめて、1.2の世界を楽しむとしよう。 しかし、見え方がこうも違うなら、近視の人間と遠視の人間では思考回路が異なるのではないだろうか。どっちが得かはわからないけれど、想像力、判断力、あらゆる面で近視と遠視では違うような気がする。 もっとも、ずーっと同じ状態が続くなら、それは慣れになって、何ともないのかも知れないが、私のようにその時その時でモノの見え方が違うというのは、実に緊張感があって、いい。世の中の眼鏡族のみなさん、われわれは双方の認識パターンを備えたマルチ人間なのかも知れませんぞ。 （2007/1/1） からす、すずめ、めだか！ 朝の通勤時間帯、私が学校に行くとき乗る電車は超満員である。ただし、降りる時にはガラガラである。何しろ乗っている距離が半端じゃない。地上を走っていた電車が地下鉄に乗り入れて、再度地上に出てまだ走る。私鉄三社直通である。最速の電車が来ても１時間15分乗りっぱなしなのだ。最初は都心へ向かう人で立錐の余地もないが、都心を抜けてしまえば後は反対側のイナカへいくわけだから、空いているのも当然だ。 途中で座れないことは絶対ない。座れば、睡魔が襲ってくる。夏場など要注意で、ガラガラになった冷房の効いた車内で熟睡して、何度寝過ごしたことか。 先日も、ようやく座ってウトウトしていたら、そんな時間に珍しく、子供の声がする。「からす、すずめ、めだか…」 子供どうしが尻取りしているなら微笑ましいし、気になるはずもないのだが、この日ばかりはどうも変だ。妙に耳につく。 見れば目の前に着飾ったお母さんと娘。子供は遊んでいるのではなく、尻取りの練習をさせられているのだ。うっかり「ん」で終わろうものなら大変。母親の叱責が飛んでくる。「一人尻取り」を練習させられているのだ。これじゃ楽しいわけがない。子供の声に生気がないのもむべなるかな、私が不審に思うわけだ。 しばらく見ていて、気がついた。この子は今日、小学校の入学試験なのだ。いわゆる「お受験」だ。 母親の顔は緊張でひきつっており、子供は思いっきり退屈そうだ。そう言っては失礼だが、着飾った母親は、きれいにお化粧はしているものの品とか豊かさとかが全く感じられなかった。子供も、お世辞にも…。 話には聞いていたが、お受験の顔とはこういうものかと初めて知った。こうしたものを見破っていい子を採ろうとするなら、小学校の入試をする先生方は大変だろう。素のままの子供の姿を見ようと思っても、直前まで「からす、すずめ、めだか」を目のつり上がった親が仕込んでくるのだから。 不愉快になって、そっと席を立って隣の車両へ行った。さて、ゆっくり寝かしてもらおうか。と、思う間もなく次の駅でまた乗ってきた。そしてまた始まった！「からす、すずめ、めだか…」 もうあきらめた。きょうは沿線のどこかで入試があって、その学校に受かるためには一人尻取りを延々と出来ないといけないのだろう。 憮然として私が降りると、なんと、「からす、すずめ、めだか」もみんな降りた。そういえば、私が行っている音大には小学校も…。 （2006/11/1） 核実験 核実験とかで、世の中が騒がしい。 わが家ではうっかり、食事のときにその話が出てしまった。 いつもは役所のことを「すぐやらない」と非難する新聞は、一斉横並びの休刊日とかで、1日休んでから大騒ぎを始めた。 今日は、入港禁止となる船が慌ただしく出港する様子が流されていた。その船の荷は、中古の自転車、中古の冷蔵庫。リサイクルといえば聞こえがいいが、日本では、ゴミである。こんなモノを待っている人がいるというのも驚きである。 外国で知り合ったイスラエル人に、私の不用心を指弾されたことがある。「日本人はどうして人を疑わないのか。自分の国では、いつどこで爆発があるかわからないのだぞ。」 政治上の対立、宗教上の対立、人種間の対立。 むかし地球が広く大きかった時代なら、まだよかった。 今は地球は狭くて小さい。 どこに理があってどこに非があるなんて、誰が言えるか。 世の中ここまで来たら、もはや地球に怒ってもらうしかない。 美しい体に穴をあけられて勝手にドカンとやられたら、地球もたまらないだろう。愚行蛮行の行われた地には盛大にマグマを吹き出してくれればいい。何やら理屈をつけて殺し合いをしている地には大洪水でも起こしてくれればいい。そうなれば、人間が偉そうに誇る知だの知識だのは大自然の前にいかに無力であるか、等しく思い知るであろう。 初めて宇宙から地球を見た飛行士は、美しい星と言った、 その、ほんの僅かな部分に、人間は暮らす。 家にいたときの話。 何やら妙な音がする。 音の出る方へ行ってみたら、かみさんが畳の部屋でビオラをさらっていた。 地元のオケで何をやっているかぐらいは聞いていた。ブンチャッチャとかギーとかゴーとかやっているが、そもそもビオラである。メロディーなんか滅多に出てこない。その上微妙な音程と複雑なリズムで弾いているから、どの曲をさらっているか、さっぱりわからなかった。 ビオラジョークというのがある。「ヴァイオリンとビオラとどちらが価値があるか。それはビオラである。なぜなら、薪にした時、ちょっと長く燃えているから」といった類で、膨大な数のジョークがある（興味のある人はインターネットをご覧になるといい。英語ならviola jokes、日本語なら「びよらじょーく」）。 私も何か投稿しようかと思った。 うちのかみさんは、高校にオケがあって、ビオラを始めた。「何でまたビオラなんぞを」と聞かれても、なに、崇高な志あって始めたわけがない。行ってみたら「ビオラが足りない。やって！」。よくある話である。「あなたは体が大きいからコントラバスね」「クラの希望者は集まってください。くじ引きで外れた人はオーボエをやってもらいます」 しかし、ともかく、始めたことは、偉いと思う。怖いモノ知らずと言ってしまえばそれまでだが、私なんか、高校や大学で、ヴァイオリンだのビオラだのという、細かい技術が必要な楽器を始めようなんて、とても思わない。 一般大学のオケなんかでも、部員募集は至上命題だ。だから平気で嘘をつく。「弦楽器なんて簡単だよ！」「君ならできるよ！」 入部してしまえばこっちのもの。「さらえ！さらえ！さらえ！」 でも、楽器を趣味にする人は幸せだ。運動は、せいぜい中年までだろう。しかし、楽器は、爺さん婆さんになっても、楽しめる。 ただし、どんな楽器も、簡単ではない。 こういうことを知ってか知らずか、大学を出てから楽器を始める人だっている。私の知っている中には、定年を迎えてから弦楽器を始めたという人もいる。すばらしい。 学生も、私の時代と違って、今は、ゼミだ研究室だ就職だと言って、4年までやり続ける子は少ない。1年生の4月に入部した学生が卒業式に3分の2残ったなんていうのが奇跡と思われる時代である。 でも、続けてほしいな。せっかく始めたのだから。何も外海まで行かなくたっていいのだ。楽しめるところまでいけば十分。それだって、ちょっとした努力がいるけれども。 人生何がどうなるかわからない。うちのかみさんが高校でビオラなんぞ始めていなけりゃ、今のわが家は無いのだ。 これを読んで、「そうなんだよ、だからビオラなんかやるんじゃなかった！」と言われてしまえば身も蓋もないが、私は、この偶然に感謝してますよ。 （2006/10/15） |
ういう時に泊まる宿だから、窓から外を見ても、枯山水の庭が見えたり天下の絶景が広がったりするわけではない。見えるのは裏の畑と向こうの山、ちょっと離れた隣のうちの洗濯物くらいのもの。ごく普通の、山里の風景である。その畑の中に、何か、大きな鳥が、よちよち歩いていた。
にでもいた鳥なのだろう。美しい。しかし、見ていて、気の毒になった。雉も啼かずば撃たれまいと言うが、実に声が大きい。誰もが、いるのに気がつく。それに、見るからに旨そうだ。鉄砲撃ちにとって、格好の標的とならざるを得まい。
小さい頃、寝台車は憧れだった。新幹線ができる頃までは、ブルートレインなどという優等列車でなくても、長距離の急行にはだいたい寝台車がついていた。寝台車は、窓が大きく、さらに上段ベッド用の小窓があったりするから、ひと目でわかる。乗りたくて乗りたくて、仕方なかった。
万能の世の中に、夜汽車は似合わない。一本減り、二本減り… 今、全国で何本走っているのだろうか。昔の夜汽車の編成は長く、つながっている客車も個性的で華やかだった。座席車あり寝台車あり食堂車あり。私が知っている頃だと、座席はリクライニングの1等と、4人向かい合いで、背もたれが木製の「直角イス」の2等があった。寝台は豪華な個室から6人が向かい合う三段ベッドまでいろいろあった。話に聞くもっと昔には1等から3等まであって、展望車などもあったという。今、そんな面影はまるで無い。こじんまりと、ひっそりと走っている。数年前九州へ行った時驚いたが、乗っていた寝台特急は途中で遅れて、ラッシュの時間帯に大都市圏に入った。こっちは特急なのだから優先して通してくれるかと思うと、とんでもない、邪魔者扱いだった。通勤用の普通列車に何本も抜かれた。
世は新幹線の時代である。話がそれるが、新幹線にも、寝台車の計画はあったそうだ。しかし実現しなかった。「効率」には勝てなかったのだろう。しかし、鉄道は、あまり早くなると、移動の道具としては優秀であっても、魅力はなくなる。もう少しすると東京から鹿児島とか札幌とか、新幹線がつながるというけれども、早くて便利だという理由で東京から鹿児島まで新幹線を使う人があるだろうか。所詮飛行機にはかなわないのである。ならば、それを逆手にとって、「ゆっくり」を売り物にする列車が出てきてくれないだろうか。旅というものは道中に味があるものだ。
たまに時間にゆとりがある時には、ゆっくり移動したい。